◆日本と日本人の神観念、自然と共に生きる

◆日本と日本人の神観念、自然と共に生きる


 太古より、日本は四季に恵まれた風土であった。そこに住む我々の祖先の日本人は、自然の恩恵をいただき、自然の恵みに感謝をして生きてきた。

 恩恵をもたらしてくれる自然に、祖先の日本人は、大きな力の働きを感じ取っていた。自然界の森羅万象に大きな力の働きが存在し、我々に恵みを与えてくれると・・、しかしときには、災いを与えると・・・。

 こうした日本人の自然観が即ち、素朴な日本人の神観念を生み出していくのである。

 特に水への信仰は、生きていくには無くてはならないもの、生きとし生きるものを育むものとの観念があった。そして、その水を育むのは、降った雨を大地に蓄える森林の役割であることを、太古より人々は知っていた。

 京都の貴船(きぶね)の地名の起りは、水源の神の鎮まるところ、そこは樹の生い茂った山、「樹生嶺(きふね)」だというわけである。

 だから我々の祖先は、感謝こそしても、決して樹木を粗末には扱わなかった。自然がもたらす恵みに感謝しつつ、自然と共に生きて来たのである。

スサノヲ(スサノオ)


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◆カミと自然への限りなき畏敬、日本人の信仰の原点

◆カミと自然への限りなき畏敬、日本人の信仰の原点


 太古より自然は、人智の及ばない大いなる存在であった。雨風や日照をコントロールすることなど、所詮人間にはできないものであった。

 人間は、それでも自然を征服すべく戦い続けるか、それともうまく折り合いをつけ、自然と柔らかい関係を結ぶしかできなかった。

 豊かな森と水に恵まれた日本列島の日本人は、うまく折り合いをつけ自然と柔らかい関係を結び、自然と共に生きることを選んだのである。

 自然は、無限の恵みを与えてくれると同時に、自然は一瞬のうちにすべてのものを奪い去ってしまう。

 そこで人々は、自然の織り成す森羅万象を「カミ」と呼び、豊作や大漁の豊穣をもたらしてくれた「カミ」をもてなし讃え、荒ぶる「カミ」を畏れ鎮めた。

 人は、太古より自然共に生き、「カミ」と共にあったのだ。

 スサノヲ(スサノオ)


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◆日本の神々の世界(八百万の神々)、大自然に宿る日本人の原風景

◆日本の神々の世界(八百万の神々)、大自然に宿る日本人の原風景


 日本の神々の世界(八百万の神々)は、豊かな森と水の日本列島という風土が醸し出した神々の記憶である。私たちは普段、神の存在を意識することなく生活している。

 しかし、気付かなくとも、私たち日本人のものの見方や行動を規定している「何か」がある。その何かとは・・・。

 この日本人の意識の底に眠った記憶とは、太古の昔から今日に至るまで、この豊かな森と水の日本列島という風土のなかで育成されてきた、日本人の精神的遺産である。

 日本の神々の世界(八百万の神々)は、私たちの意識の底に眠った神々の記憶でもあり、大自然に宿る日本人の原風景でもある。

 日本人は太古より、「カミ」の坐す(います)ことを感知し、「カミ」の宿る神木を、磐座(いわくら)を、神体山を信仰してきた。姿なき「カミ」は、おのずと感知されるものでなく、人間の感性の源である「魂」と直接に響きあう存在であったのである。

 スサノヲ(スサノオ)


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◆カミと神祭り、太古の息吹・「カミ」と感応し忘我の境地へ

◆カミと神祭り、太古の息吹・「カミ」と感応し忘我の境地へ


 太古より、豊作を祝い大漁を寿ぎ「カミ」に感謝し、またその次の年もよき年であるよう祈願する「神祭り」を行った。

 「神祭り」は、時には熱狂的な非日常的空間を出現させた。

 聖なる山奥の神社の漆黒の闇、何処からこんなに集まったのか、境内は氏子で埋め尽くされる。松明の火が燈され、炎はメラメラと上空へ舞いあがり、暗闇の天空を真っ赤に染める。炎は人を陶然とさせ、次第に氏子たちの顔は紅潮、心臓の鼓動が高鳴る。

 すると、祭りの興奮は最高潮に高まり、氏子たちの体から湧き出た凄まじいエネルギーは、太古の息吹・「カミ」と感応し、忘我の境地へと導く。

 そこには個人という意識は希薄で、すべては一つであり一体である。こうした体験を共有することにより、人々は「カミ」と共にいることと氏子としての絆を再認識する。

 祭りとは太古より、「カミ」を通じて人間を癒し、共同体を維持させてきた、壮大で強力な舞台装置であったのだ。

 スサノヲ(スサノオ)


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